「あ、そいえば時雨とケーキ食べる約束投げちまった。怒ってないかなぁアイツ」 「後で連絡入れておけば大丈夫だと思うけど」 「だよな。悠がお詫びに何でもするって言っとけば時雨の奴、すぐに機嫌直すよな」 「私の機嫌が悪くなるけど」 自身の前と後ろから聞こえてくる二人の言葉それぞれを軽く聞き流しつつ、建物外付けの階段を上っていく。 そしていつもの見慣れた扉に『本日休業』と乱雑な字で書かれた紙が貼り付いていた。 それを無視し、鍵がかかっていなかった出入り口の扉を引き開けると、無人の待合室の奥からドスンと鈍い音が響いてきた。 「……」 いや、いる。 奥の受付付近で、秋津さんを締め上げているのは。 「……さて、言い訳を聞こうか」 いつもよりも不機嫌さが五割増しになった紫苑が、秋津さんを持ち上げて壁に押し付けていた。 「や、やだなー。何の事か全く身に覚えが……」 「……」 彼は舌打ちすると、空いている左手で受付に置いてあるパソコンを指した。 「……。じゃあこれは何だ?」 「……?」 自身の隣で光輝が頭に疑問符を浮かべていたが、悠は何かを察したのかスタスタと部屋奥まで歩いていく。 「……お前たちか。ちょうどいい、これを見ろ」 言われるまま悠がマウスに手を載せ、三人で秋津さん専用のパソコン画面を覗き込む。 そこに表示されていたのは、二つのメール。 一つ目のタイトルは『定期審査のお知らせ』。 「……定期的に行われている異能の審査を、今年も予定通り行うというただの通達だ。本文には今回から審査官(テスター)が変わったなどと書いてあるが、今はどうでもいい。今はな」 その受信日時は十数日前、つまり今月の初めだった。 そして、二つ目。 『緊急要件 異能審査官の離反』 「……当支部への警告、並びに対象の捕縛命令。定期審査を行う予定の新審査官(テスター)が、審査用の異能を使用して暴走した」 長々と記載されたメールの冒頭を、淡々と悠が読み上げる。 受信日時は……三日前の昼間。ちょうど、最初に人形出現の報を聞いたあの日の数時間前。 「……」 このくだらない茶番の全容を、白斗はようやく理解し始めていた。 つまり、こういう事らしい。 「この事態を説明する本部からのメールは、最初から全て来ていたわけだ。この馬鹿がわざと無視していただけでな」 締め上げていた相手をようやく床に下ろし、いつも以上に苦虫を噛み潰したような顔で紫苑が言う。 床の上に座り込んだ秋津さんは何をするわけでもなく、あいまいな笑みを浮かべたままこちらの顔を順繰りに見回していた。 「そもそも、だ。数日前に俺たち全員がここに集められた理由が……これだ」 そう言って、表示された一つ目のメールを示す。 「この支部全員の異能の定期審査だ。本来あの日に行うはずだった、な」 葵を除いた5人が揃った室内で、紫苑の声だけが響く。 異能の定期審査。それは文字通り、本部から派遣された人間が各支部の所属者たちの異能に形式的な審査を行う定例行事。 出来る事を一通り審査官(テスター)に見せた上で、最初に本部に申告した時と比べて力が衰えていないかを数年に一度確かめるとかどうとか以前言われたが、白斗としては詳しい事はさほど憶えていなかった。 「先ほどの通り、担当審査官(テスター)が今回から変わった。そしてそいつが今回の黒幕だったわけだ」 「って事は、まさかそれって……」 光輝の言葉に、悠が画面に表示された文字列を読み上げる事で答えた。 「その審査官(テスター)本人が使用する異能が『ゲンガーコロニー』。対象の見た目や口調を自動で模写し、自律行動するあの『人形』を複製する」 「……え? でもこの前ねーちゃんが自然発生のドッペルゲンガーがどうとか……」 「それは多分、全部秋津の狂言」 「……。……はぁ!?」 「何か理由があって、私たちに適当な事を言ったんだと思う」 足元の秋津さんをいつもと変わらぬままの表情で見下ろし、淡々と告げる。 「悠、もしかして最初から気づいてたのかよ?」 「最初からじゃない。ついさっき、時雨と話した時に嫌な予感がしただけ」 面倒そうに息を吐く。 「でもねーちゃんさ、どうして黙っていたんだよ?」 あまり興味無さげな悠以外の三人の視線に囲まれ、ようやく――しかしそれでも笑みを崩さぬまま――口を開いた。 「……便利屋の仕事って、出来高制なのはみんな知ってるよね?」 「? ああ。前にしぐ……知り合いにそう説明したし」 何か思い当たるフシがあったのか、光輝が頭をかきながら宙を見上げた。 「それと同じで、こういう裏のお仕事も出来高制なんだよねー。本部の指示が出た時に働けば働くほど……分かりやすく言うと撃破ボーナスが出るんだよ」 「……つまり、この場合はあの人形を倒せば倒すほど、報奨金が本部からこの支部に振り込まれる、と」 思わず白斗がつぶやいた言葉が聞こえたのか、笑顔のままの相手が手を打った。 「そ! こういうのは滅多に来ないお仕事でねー。便利屋の方だとほとんど儲からないし。だからここで目いっぱい稼いでおこうと――ひぎゃっ!?」 いつもの調子に戻りつつあった秋津さんの服を額に青筋を浮かべた紫苑が掴み、そのまま再び持ち上げる。 「……つまりは、だ。わざと今回の事件の原因の情報を伝えない事で、俺たちは見えない敵と戦っていたわけだな? いくら潰しても潰してもキリが無い、未知の敵(アンノウン)と」 「いやー……本当の事伝えたら、紫苑くんがとっとと本体に向かいそうで……」 てへっ、と自身の頭を叩く。 「それに、言わなくてもみんなそれぞれでどうにか出来るかなー、って。ま、白斗くんのところにまで出たのは予想外だったけど」 「……お前たちはどうする? ある意味、この馬鹿がお前たちを危険に晒したわけになるが。お前たちの判断で、ここの支部長を変える事も出来るわけだ」 秋津さんの言葉を無視し、紫苑が他の三人の顔を順に見回した。 「……俺は別になぁ……。むしろ悠の方が危ない目にあってるし」 「別にどうでもいい。誰も死んでもないし、怪我もしてないから。働いた時の報酬をちゃんともらえれば私としてはそれでいいけど」 「まぁ、悠がそう言うんなら……。でも、ねーちゃん……しっかりしてくれよー……」 「……」 白斗がよくよく考えると、自身の中に特に正義感も何もなかった。単に周囲に流されて生きているだけだと気付いた。 むしろここで支部長が変わるのも面倒だと思ったので、少しの間を置いてから、 「現状維持で」 その途端、目をうるうるさせた秋津さんがこちらに手を伸ばしてきていたが、あえなく紫苑に押し留められていた。 「……。こいつらの意見で今回は見逃す。ただし、次同じ事をしたら……その時は覚悟しておけ」 「……はーい」 「ところで俺思ったんだけどさ、」 いつの間にかどんよりと曇り始めていた外の天気を眺めていた白斗は、光輝があげた疑問の声で現実に引き戻された。 「審査官(テスター)の『ゲンガーコロニー』で作られた人形って、誰にでも変身できるんだよな? でもどうして俺と悠が戦った時は二人のどっちかの姿だったんだろ?」 「それ、推測だけど……分かる気がする」 画面に視線を向けながら、悠が息を吐いた。 「……え?」 「まず、メールにある通り『人形』は自律行動式。審査官(テスター)が直接操るんじゃない」 「……ん? ああ」 「とある命令を仕込まれた上で、私たちの周りに放たれたんだと思う。そしてその命令内容について。おそらく、」 「襲撃の最初期はあくまでも「審査である」という体裁をとっていたのではないか。……だろう?」 悠の言葉を、紫苑が引き取った。 「審査官(テスター)の趣味か、はたまたそれで俺たちを騙せると思ったのか。どうでもいいがな」 「そう。……もしかして、あなたも気付いていた?」 「ああ。少なくとも、この馬鹿よりは先にな」 そう言って秋津さんを睨(ね)めつけた。 「……ところで秋津、この支部の構成員の登録状況はどうなっている?」 「うん?」 「俺の予想が正しければ……そこの二人をコンビ扱いとして本部に登録してはいないか?」 「そそ。光輝くんと悠ちゃんは一緒にお仕事するから、確か二人一組って申請出してたかなー」 「……ビンゴだ。これで確証が持てた」 そこで息を吐き、続ける。 「定期審査の対象は、三組だ。俺、お前、そしてそこの二人組」 光輝と悠に順に視線を向ける。 「最初の夜、俺と戦った時には光輝、お前の姿だった。二人組の姿の時の審査対象はもちろん二人組だ。俺ではない」 「というと……?」 「つまりは、審査対象の本人ではないから別の人間に化けてもいい。そういう事だろう。事実アイツは、俺の目の前でそこらの通行人に化けようとした」 「……俺と悠が戦った時は、俺たちが二人で一つのコンビであると登録されていた。だから、二人の好きな方に変身して良かった」 ようやく理解したのか、ハッとした顔で手を叩いた。 「ただしこの場合、俺たちは本来の審査対象だからそれ以外の人間には変身しない。……そういう事かよ?」 「ああ。そういう命令……制約と言い換えてもいい、を『人形』に仕込んでいたんだろうな」 紫苑の説明は続く。 「だが最初に送り込んだ二体が俺たちに両方つぶされ、おそらく本部に通報がいったと想像し、なりふり構っていられなくなったわけだ」 相手の視線がこちらを向く。 「よってどんな手段を使ってでも急いで成り替わろうと、最後の審査対象者であるお前のところに向かったんだろう」 「……」 「審査官(テスター)の目的はこの支部の乗っ取り、要は俺たち全員と成り替わるつもりだったんだろうな。そう考えると全て辻褄が合う」 画面に映ったメールを下までスクロールし全ての情報を確認し終えると、再度全員の顔を見回した。 「密かに乗っ取りにかかろうとしたから、直接ここに殴りこんでは来なかったわけだ。以後はどうだか分からんがな」 それから面倒そうに舌打ちすると、秋津さんの顔を覗き込む。 「結局のところ、本部には最初から全てバレており、秋津は通報どころか無視していたわけだ。二人の馬鹿が今回の件を引き起こした。……秋津、次は無いと思え」 「……了解でーす」 昼間の陽気はどこへやら、いつの間にか外は真っ暗になっており、ポツポツと水音が聞こえ始めていた。 「降ってきたなぁ。……うへぇ、凄い土砂降り」 雨の音は次第に大きくなり、いつしか豪雨と呼んでも差し支えないほどにまで強まっていく。 建物の外に出て、カバンの中から折り畳み傘を取り出した悠が、ふとそこでとある人物の不在に気付いた。 「ところで、葵は?」 彼女の視線がこちらを捉えた。 「さぁ。毎日放課後すぐに教室を飛び出していくから、どこにいるのやらかも」 それからその視線は光輝の方を向くが、彼もまたあいまいな笑顔で首を横に振るのみ。 「……」 悠が無言で携帯電話を取り出して、着信履歴からとある番号を呼び出す。 「……。……。あ、葵、今どこに――」 『今忙しいから後で!』 電話の奥からは、強い雨の音と共にぎゃおーん、と何か動物の鳴き声らしきものが聞こえ、それからすぐに通話が切られてしまう。 だが悠にはそれが聞こえなかったのか、ため息をついて通話の途切れた携帯電話をしまう。 「……とりあえずは大丈夫そう。別に今回の事件に巻き込まれたわけじゃないなら、本人の自由だけど」 「……」 何だ今の、と口の中だけでつぶやいた声は誰にも聞こえる事はなく、雨の音に流されて消えた。 結局、その日も最後まで彼女の姿を見る事はなかった。