大雨が上がった翌日、金曜日。 寄宿舎に引きこもるよりはマシだろうという秋津さんの判断で、放課後になってすぐに悠と光輝に「護衛」され、白斗は協会の建物内にいた。 「……」 数日ぶりに便利屋の業務が再開されて大勢の人間でごった返した室内で、長イスに腰かけて昨日最後に行われた会話を思い返す。 「さて、こうなると後は俺の領域だ。俺はこれからしばらく街中の見回りを続ける」 パソコンの画面に目を向け、腕を組んだままの紫苑が告げる。 「メールに添付されていた写真を元に、人形の本体、審査官(テスター)を探す。お前たちは気にせずいつも通りにしていろ、と言いたいところだが……そんな事は向こうにとっては関係ない。容赦なく狙ってくるだろうな」 「別にどうでもいい。もう巻き込まれてるから」 悠がいつもと声音を全く変えないまま返し、それから相方に目を向けた。 「私と光輝も見回りに参加する。見回りは複数人でやった方が効率いいから」 「え? おい」 「向こうから狙われている以上、ここに引きこもっているよりも打って出た方が早いと思うけど」 ……。 そんな会話を、どこか蚊帳の外に置かれた気分で聞く。 確かに自分のあの時間停止の力では、逃げる事しか出来ない。しかも判断を間違えるだけで文字通り命取りになる。 異能より上位の概念で、人間を超えた力とも言われる超能力(クオリア)。異能を扱う協会でも、ブラックボックスの存在。 だが問題は、それだけでは特段の戦闘力にはなり得ないという事。 ただし、これ以上何かしらの力が欲しいとも別段思わなかったが。白斗としては、あの宙に浮く不審者の世話になる気は毛頭なかった。 「それで、兄さんはどうするの」 ふと、悠の声で現実に引き戻された。 「今日はこのままここに泊まっていった方が安全だと思うけど」 自身の記憶が正しければ、この建物内には宿泊用の部屋もあったはずだった。 ただし、常日頃からほぼ秋津さん専用となっていたはずでもあったが。 「えへへ、今日は白斗くんと一緒にお泊まりかぁ……。予備の毛布、どこにしまったっけな?」 別に嬉しくないですと白斗が言う前に、別の人物の声が割り込んだ。 「いや、そうでもないだろうな。むしろこのまま普通に帰った方がある意味で安全かもしれんぞ」 「……それって、どういう意味?」 悠の疑問に、ニヤリと笑みを浮かべた紫苑が返す。 「審査官(テスター)の目的は殺す事ではなく成り代わる事だ。もし仮に学校などの衆人環視の中で殺した後、成り代わってどうする?」 「……。死体になった瞬間を見られた人物が後で平然と動いていたら、絶対に大騒ぎになる」 「ああ。だから成り代わるのは、人の目が無いところでなければいけないわけだ。あくまでも推測ではあるがな」 フゥと息を吐き、視線を薄暗くなり始めた窓の外へと向ける。 「だが、これで正しいはずだ。そうでもなければ、審査官(テスター)の事が判明する以前から狙われていたお前が、夜中に襲われなかった事への説明がつかんからな」 ……。 「でもよ、さっきから推測推測って……本当にそうだって言い切れるのかよ?」 白斗と紫苑の顔を交互に見回し、光輝が言う。 「もしその推測が外れてたとしたら、マジでシャレにならないだろ?」 「くくっ……確かにそうだな」 面白そうに喉を鳴らして笑う。 「確かに全て推測だ。先ほどから話した事のほぼ全てがな」 「だったら――」 「この審査官(テスター)とやらは、心底臆病な性格のようだ。どこぞの馬鹿が間接的に手助けをしていたとは言え、今の今まで俺たちにその存在を気付かれなかったほどにな」 苦笑いを浮かべている人物を一瞥し、それから続ける。 「だが俺たちは今、相手の存在に気付き、それを前提に考える事が出来る。前回までとは違うわけだ。それに今は、推測で動くしかないのだからな」 「……」 それから相手は白斗の方を向き、こう告げた。 「ともかくだ。明日の日中に俺たちが見回りを続けている間、お前はここにいろ。俺たちの誰かがいない時は、絶対に外に出るなよ」 「……」 回想を終了し、目の前の置かれた乱雑に封を開けられたポテチに手を伸ばす。 紫苑に言われた事は元からそのつもりだったので、今日は終日この室内に引きこもる予定だった。 「はーい、お次は大掃除の手伝いと、ゲームのお相手ー。早い者勝ちだよー。あ、塀のペンキ塗りも追加で―」 「……」 受付で忙しそうに便利屋業務のアナウンスをしている秋津さんに視線を向ける。 他人の目があれば襲われないはずだ。自身の居所を公にしたくない審査官(テスター)は、出来る限り騒ぎを引き起こしたくないのだろうから。 紫苑のその推測を元に、秋津さんは今日はわざと便利屋業務を再開していた。 「……」 白斗自身としては、だからと言ってある意味で盾であるかのように他人を使うのは、あまり気乗りしなかった。 「んー、いないなー」 「そうそう簡単に見つかるものでもないと思うけど」 悠と光輝は、印刷された写真を手元に街中の見回りを続けていた。 渡された写真にはこれといって大した特徴も無い、眼鏡をかけた若い男が写っている。 協会支部の建物を出て、駅前大通り、寄宿舎近く、学校方面、そしてまた駅前大通りへ。 思いつく限りの順路を通り、見慣れた街中の見回りを行う。 駅の反対側は、紫苑が巡回する手はずになっていた。 「しっかしなぁ、今までにこんな奴見かけた事あったっけか? ほら、ここんとこずっとねーちゃんのお使いで街中歩きまわってただろ?」 「別に相手はその辺をふらふらしているわけじゃないだろうし、意識して探さずに偶然見つかるとはとても思えない」 「そうだけどなぁ……」 駅前大通りの商店街が立ち並ぶ区域に差し掛かり、目に見えて人通りは多くなっていく。 平日の夕暮れという事も手伝ってか、仕事帰りのサラリーマンが忙しそうに二人を追い越していった。 昨日の大雨で出来た水たまりを避けつつ、悠が言う。 「そもそもその審査官(テスター)が、屋内にいる可能性も排除できないけど」 「建物の中って言ったら……お手上げじゃないのかよ?」 「それでも今は、ただ見回りを続けるしかない」 そう言って、悠は沈みかけた夕陽が映る空を見上げた。 周囲の人間の顔を観察しながら歩いていた大通りの道はいつしか交差点へと差し掛かり、信号待ちの群衆の中に二人は紛れた。 「あー、紫苑があっさり見つけた、とか連絡入ってればいいのになぁ……」 「……。残念。何も来てない」 携帯電話を取り出し、待ち受け画面を一目見るなり言う。 「だよなぁ」 青に変わった信号機が、独特の音で通行可能になった事を周囲に知らせると同時、大勢の通行人が一斉に前へと踏み出す。 「悠さん、前、前」 「分かってる。……この件が終わったら、いい加減あなたも携帯電話を買い直して欲しいんだけど。いつまでも私頼りじゃ――」 そこまで言いかけた時、唐突に悠の視界は揺らいだ。 「っ!?」 前方の信号機が宙へ飛ぶと同時に視界が真っ暗になり、全身にのしかかる強い衝撃。 とっさの事に為す術も無いまま、携帯電話を手放してしまう。 背後の何者かに突き飛ばされてアスファルトの上に倒れ込んだという事に気が付いたのは、その数瞬後の事だった。 「悠っ!? おい、あんた――」 横倒しになった視界の中で見上げると、光輝が誰かに手を伸ばしていたが、通行人の壁に阻まれて届く事は無かった。 その人物は道路上に転がった悠の携帯電話を拾うと、通行人の波に乗ってどこかへと去っていく。 「……っ」 起き上がった悠の視線の先では、ちょうど信号が赤に変わったところだった。 そのまま走り出そうとすると、制服の袖が相方によって即座に掴まれた。 「ちょ、おい!」 二人の数歩先を、クラクションを鳴らしたトラックが走り去っていった。 「光輝。……相手の顔、見た?」 「……ああ、見えたぜ。でも、さっきの写真の奴じゃなかった。ただの引ったくりってか……?」 「……違う。多分、あれは人形だと思う。そこらの通行人の姿を模した」 もちろん単に光輝が言うケースだった、という事もあり得なくはないが、それにしては状況が出来過ぎていた。 そしてもし先ほどの人物が審査官(テスター)から送り込まれた人形だった場合、次に相手がしようとする事は―― 「とにかく、公衆電話を探して急いで連絡しないと……」 と。 「何してんだお前さんたち。こんなトコで」 背後から飛んできた声に振り向くと、そこに立っていたのは時雨だった。 学校帰りにどこかで買ったのか、その口にはいつものシガレットチョコの代わりにたい焼きが咥えられている。 「昨日のケーキの件はガッコで話聞いたから別にもういーんだけどよ、どしたんだよ今日も帰りのホームルーム終わった途端に二人揃ってどこか行っちまって。何か急ぎの用事でもあったのか?」 「……!」 とっさに身構えるが、そこでとある事を思いついた。 「……。時雨、電話貸して」 「ん? どして」 「いいから」 そう言うと、いぶかしげな表情を浮かべながらも携帯電話を差し出してきた。 「ほらよ。……別に構わねーけどよ、一体何に……」 「……」 それがいつも時雨が愛用している、正真正銘彼女の持ち物である事を確認してから、既に暗記している番号をプッシュした。 数コールの後、『おかけになった電話は現在お話し中です』と無機質な音声が聞こえてくる。 「ありがと。……光輝、今から急いで戻る。ここからなら五分もかからないはずだから」 押しつけるようにして時雨に携帯電話を返すと、相手の返答も待たずに悠は駆け出した。 背後から飛んでくる、困惑した叫び声を背に受けながら。 『兄さん、今すぐ来て。少し話があるから』 それが悠からかかってきた電話の第一声だった。 「……? 何で」 大人数がひしめく騒々しい室内でうたた寝していた白斗は、欠伸を噛み殺しながら返答を返した。 『説明してる余裕は無いみたい。今なら大丈夫。建物の前で待ってるから』 それだけを告げると、通話は有無を言わさず切れてしまう。 「……」 審査官(テスター)の居場所の手掛かりでも見つかったのだろうか。 「それにしたって別に俺じゃなくて、秋津さんでも紫苑でもいいだろうに……」 そうつぶやき前を向くと、やはり忙しなく業務アナウンスをする秋津さんの姿が視界に入ってきた。 紫苑は何らかの事情で連絡が付かず、秋津さんはあの一件で信用されていないから自分に話が回ってきたのだろうか、などと思ったりもしつつ。 「……さて、行くか」 適当に用件だけ聞き、数分で戻ってこようと自身に言い聞かせて長椅子から立ち上がる。 仕事を振り分ける事に夢中の彼女は、こちらの様子になど全く気付いてはいないようだった。 建物の裏手から階段を降り、やはり今日も閑散としている階下の喫茶店の脇を通り抜けて路地に出ると、悠の姿はすぐに見つかった。 建物の立地が日陰であるせいか、まだまだ残っているいくつかの水たまりを踏まないように注意しつつ、路地の角付近で手持無沙汰気味にしている彼女に近寄る。 「それで、話って何」 そう問いかけると同時、どこかからジジジッ……と何かが弾けるような音が聞こえてくる。 それからさらに、見下ろした足元の水たまりに何かが映った。 その手に電撃を乗せて、背後の電柱の上から今にも飛びかかろうとタイミングをうかがう、光輝の姿。 「――っ!」 とっさに自分と悠以外の時間を『30秒』止め、それから改めて振り向く。 口元に笑みを浮かべた彼は、まるで何かで固定されているかのように不安定な態勢でその場から動かなくなる。 「……建物の前で張ってた、と」 目の前の悠も、どこか驚いたような面持ちで彼を見上げていた。 どうしてここまで執拗に自分が狙われるのだろうか、理不尽だなどと思いながらも改めて周囲を確認する。 「悪い、そんなわけで話なら室内で……」 そう言いかけて踵(きびす)を返しかけると、道の奥にまた別の悠の姿が見えた。 「……」 背後の彼女を向くと、無言で携帯電話を見せてきた。 目の前の彼女が本物であることを確認した途端、相手はいきなり手を掴んでくる。 「そういう事。ここは危ないから、一緒に来て」 こちらの手を引きながら、彼女は駆け出す。 「……?」 協会支部の建物がある路地を曲がった一瞬、自分の兄の後ろ姿が見えた気がしたが、瞬きをするとすぐに消えてしまった。 「何立ち止まってるんだよ、悠」 「……。何でもない」 すぐ後ろから追いかけて来た相方にそう返すと、悠は建物外付けの階段を上っていく。 室内に踏み込むと、いつも通りただ騒々しいだけの雑音が聞こえてきた。 それを無視して受付前まで歩いていくと、そこに列を作っている数人の学生たちが怪訝な視線を向けてくる。 「どいて」 その瞬間雑音が静まり返り、部屋中の視線が一気に自身の方を向くが、悠は気にせずに続けた。 「秋津、兄さんはどこ」 「えー? そこら辺にいない?」 受付の人物は、いつも通りの調子でのんびりと菓子類片手に言ってくる。 いつもは特に気にせずいたけれども、それが今はどこか癪に障った。 「いないから言ってるの。電話して。今すぐ」 悠に手を引かれて暗くなりかけてきた路地裏を走っていた白斗は、自身の携帯電話がいつの間にか着信音を鳴らしている事に気が付いた。 掴まれていない方の手で取り出して画面を確認すると、秋津さん、という文字が躍っていた。 自身の隣の悠が怪訝な視線を向けてくる中、特に何も考えずに通話ボタンを押す。 「もしもし」 と。 『何も言わずに、今から言う事をよく聞いて』 電話の奥から聞こえてくるのは、悠の声。 思わず自身の隣にいる彼女へと視線を向けるが、そんな事は知らない電話相手は続ける。 『今兄さんと一緒にいるのは、おそらく私か光輝のどちらかだと思う。その通りであれば電話を叩いて』 隣の人物を見つめながら、言われた通りに携帯電話の背面を人差し指で強く叩いた。 もしこの電話相手が偽物であったとしても、電話越しでは何も出来ないだろうと白斗は思った。 「……何してるの」 と、隣の悠が怪訝そうな表情をさらに強めてくる。 「いや、秋津さんからの電話。少しだけ話したらすぐに切る」 そう彼女に告げてから、電話奥の声に耳を傾けた。 『……それが偽物。私の方が本物。さっき街中で携帯電話を取られたの』 「……」 いやまさかな、と思いつつも再び隣を走る悠に目を向けた。 次に時間停止の超能力(クオリア)が使用出来るのは、確か16分後。 もし仮にこちらが偽物だとした場合……。 『信じて。提示できるものは何も無いけど』 どこか冷や汗にも似たものが背筋を流れた。 昨日と似た状況にも関わらず、今度はふざけたり軽口を叩いたりする余裕などありはしなかった。 相手に手の内がバレているのかどうかは分からなかったが、どちらにせよ逃避手段はもう使えない。 「ねぇ、何してるのってば」 どこかイラついたように息を吐き、隣の彼女は白斗の目の前に立ち塞がった。 怒ったような表情を浮かべ、こちらの携帯電話を取ろうと掴みかかってくる。 「……」 そこでやっと確信した。 今現在目の前にいる方が、偽物であると。 いつも表情をほとんど顔に出さず、他人からは冷淡だと思われるほどの悠が、こんなに感情を露わにした事はただの一度も無かったから。 『現在位置を教えて。今から私と光輝が向か――』 電話口の声がそこまで言いかけた時、目の前の彼女が振り上げた手で携帯電話は弾かれて宙に舞った。 道路脇に転がっていくそれを気にもせず、彼女はその手をこちらの頭に伸ばす。 「――!」 いつもの癖で、避けようともせずにクオリアを使用する事を選んでしまっていた。 だが未だインターバルが完了していない時間停止は発動せずに、相手の手はそのまま白斗の頭を掴んだ。 「……っ!?」 とっさに振りほどこうとするが、それは明らかにいつもの彼女の腕力ではなかった。 同時に、ただただ強い不快感が襲いかかる。そして胃の奥からこみ上げる何か。 確か、数日前に本物の悠が言っていた。このようにして記憶を読まれた、と。 その直後、いきなり手を離されて白斗はその場に崩れ落ちた。 「ゲホッ! ゴホゴホッ……!」 「……なるほど、ね」 目の前の相手はつぶやくようにそう言い、口元に笑みを浮かべた。 通話が途切れた瞬間、悠は建物を飛び出していた。 階下の喫茶店から出て来た数人とぶつかりそうになりながらも、構わずにそのまま通り抜ける。 路地に出て周囲を見回しても、誰の姿も見えない。 「おい、待てって!」 「……光輝、ここからは別行動。二手に分かれて探す」 周囲の音に耳を澄ましながらも、背後から聞こえてきた声に振り向かずに返す。 「アテはあるのかよ?」 「……無くても、今は動くしかない」 そう告げ、適当な角を曲がろうとする。 「……ねーちゃんが、紫苑に連絡したって言ってた。しばらく待てば来るはずだから、その前に、」 「待ってなんか、いられない」 「あ、おい!」 「悠さん、頭に血が上ってるなぁ……」 遠ざかる悠を見送りつつ、光輝はため息交じりの息を吐いた。 「兄貴をおびき出した時みたいに偽物が出る可能性があるから、紫苑が来るまでの間に合い言葉を決めておこうぜってだけなのに……」 視界内の彼女は、もう米粒ほどの大きさにまで小さくなっていた。 「ま、アイツの言う通りここは捜索優先としますかね、っと」 そして、今しがた相方が駆けていったのとは反対方向へと走り出した。 「……くそ」 胃の奥からせり上がってきたものをその場に吐き捨てると、白斗は口を拭いながら目の前の相手を見据えた。 もし今記憶が読まれたのだとすると、その内容は……。 こちらの考えていることなどお見通しだとでも言うかのように、目の前の相手は笑みを強めた。 「……」 以前聞いた、爪による攻撃。それを警戒し、相手から数歩ほど下がる。 どこから来るか分かっている攻撃は少しなら回避できる自信があったが、上手くいったとしてもそうそう長くは保たない事くらいは理解していた。 そして、相手は。 身体全体が弾けて灰色の粒子になると、周囲の風に紛れるようにして消えていく。 「……!?」 誰かから攻撃を受けた形跡も無い。 もちろんこの状況で撤退する理由なども見当たらない。 だが事実、相手の身体は跡形も無く消え去ってしまった。 「何だってんだ……」 訳が分からぬまま周囲を見回す。 すると路地の両方向から二人ずつ、計四人の見知らぬ男たちが近づいてくるのが見えた。 「……」 どこか嫌な気がして、彼らを迂回して走り抜けようとする。 と。 ドゴ、と重い音と振動が辺り一面に響いた。 恐る恐る振り返ると、数瞬まで立っていた場所のアスファルトが大きくえぐれていた。 「全員何かしらの異能力者、いや……」 誰かの人格を複製された、人形。 同時、四人が一斉に白斗目がけて駆け出す。 時間停止のクオリアが再使用可能になるまで、後5分弱。 「おーい、見つけたぜー」 自身が知る限りの人気の無い路地裏を手当たり次第に見て回っていた悠は、背後から聞こえてくる声で振り向いた。 そこにいたのは、自身の兄を背後に連れた光輝。 「ふぃー、何とか逃げ切ってきたぜ。悠の偽物、しつこくてさぁ」 「……?」 苦笑いしながら額の汗を拭う光輝とは対照的に、全く汗をかいておらずさほど息も切らしていないように見える彼に、どこか疑念を抱く。 昨晩本物の兄から聞いた話によると、偽物は息を切らさずに長距離を追いかけてきたという。 自分でも考え過ぎなのではないかと思いつつも、ひとまず問いかける。 「兄さん、怪我は」 「おかげさまで。携帯電話は取られたけど、それ以外は特に問題なし」 「……。それと、勝手に出ていかないで。秋津にも言わずにどこかへ行かれると、こっちが迷惑するから」 ……何かがおかしい。 告げている間も、相手はニヤニヤ笑いを浮かべながらこちらを見つめていた。 「……光輝、兄さんからゆっくりと離れて。こっちに来て」 「ん? どしたんだよ。いいからとっとと戻ろうぜ」 不満そうに言いつつも、光輝は悠の背後に回る。 「この兄さんは……おそらく偽物、だと思う」 「……はぁ!?」 「何を根拠に?」 『兄』はおちょくるような笑顔と共に、実に心外だと言いたげに両手を広げた。 その動作で、疑惑はより一層確信へと変わっていく。 「……来ないで。そのまま数歩下がって」 それを無視し、相手はこちらへと手を伸ばした。 「……!」 とっさにイージスを正面に展開し、目の前の相手からの接触を弾く。 目の前の彼は障壁に阻まれた指先を、驚いたように見つめていた。 「……光輝、お願い」 「おっけ。気は進まないんだけどなぁ……」 背後から発するジジッ……という音が聞こえ始め、悠は障壁を維持したまま少し身を寄せた。 「……」 『兄』は避けようとも反撃しようともせずに、何をするわけでもなくただこちら二人を交互に見回していた。 まるで、狙われているのが自分ではないという事を初めから知っているかのように。 とっさに振り向くと、背後の光輝の帯電した手は、真っ直ぐに悠目がけて伸ばされていた。 「……!」 ……両方偽物! 「んー、誰もいないし、それらしき物音も聞こえてこないよなぁ……」 同じ頃、光輝は悠とは反対側の路地を歩いていた。 日が落ちかけた周囲の道は大通りに差し掛かるにつれて、街灯の明かりで照らされて逆に明るくなっていく。 「確かこっちにはいないんだよなぁ……ま、念のため探しますか」 そして彼は、大通りへと駆け出していった。 逃げ込んだ無人の工事現場で、白斗は落ちていた鉄パイプを掴んだ。 それを竹刀のように構えて、大きく深呼吸をする。 通常の異能を持たないも同然の自分に、秋津さんは護身用だといって剣術を教えていた。 秋津さんいわく「1対1で勝つために特化した戦闘技術」らしいのだが……。 ブン! と風を切る音がするなり構えた鉄パイプは一撃でへし折られ、背後の看板に突き刺さった。 「……」 いつの間にか頬に付いた傷を拭うと、手の平に赤い色が見えた。 何が飛んできたのかは分からないが、直撃すると致命傷になる事は確かなようであった。 そして視界内に現れる、先ほどの四人。 その内の一人が一歩前に踏み出すと同時、白斗は本能的な判断でその場を飛び退った。 と、一瞬後にその場にのしかかる一撃。それを回避できたのは、奇跡と言ってもいいだろう。 「っあお!?」 普段の自分なら決して上げないであろう声を出して、折れた鉄パイプをその場に投げだしてつぶやく。 「……詰んだ」 時間停止のクオリアが再使用可能になるまで、後2分。